2025年 年間標語 年間標語「強く、雄々しくあれ」(ヨシュア1章1~9節)
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『年に二回以上、献身の時間を持ちましょう』 牧師コーナー(812)
わが教会が礼拝堂の一番前の席を空けている理由は、礼拝の後に信仰の決心と献身を表したい方々のために、招きの席として備えているからです。公に決心と献身を表すことは聖書的です。使徒パウロもローマ書10章9〜10節で「もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」と教え、救われるためには口で告白することを二度も強調しています。私たちが公に決心し、献身を表すなら、そこにはいくつかの恵みがあります。
⑴信仰生活の飛躍を経験できます。恥ずかしがり屋の人にとって、礼拝堂の前に出るのはとても勇気のいることです。しかし、その恥ずかしさを乗り越えて一度でも前に出るなら、信仰が大きく飛躍し、生活に大胆さが与えられます。
⑵決心したことを実行に移しやすくなります。誰にも知られずに決心したことはうやむやになりやすいものです。しかし前に出て公に決心すると、人々の前で約束したことと同じなので、その決心を実行に移す可能性が高まります。
⑶従順を学ぶことができます。わが教会では、洗礼を受けたい方や教会の家族になりたいと思う心を「神からの召し」と理解し、前に出て決心と献身を表していただくように勧めています。そして、それを従順のしるしとして理解しています。 信仰の決心はしたいけれど、前に出るのは嫌だと思うなら、信仰を訓練する機会を逃すことになります。
⑷みことばを解き明かす牧師の祈りを受けることができます。私たちが決心し献身しても、それが実を結ぶためには神の助けが必要です。みことばを伝える説教者(牧師)の祈りは、その決心と献身が実を結ぶよう助けてくれます。書き出した決心と献身の内容は、説教者が1週間、毎朝の早天祈祷の中で祈るでしょう。
ですから、わが教会の信徒であれば、年に二度以上は前に出て決心と献身を表してほしいです。信徒の中には何年もの間、決心や献身を表していない方もいます。形式的に礼拝をし、説教を聞き流してしまうのではなく、いつでも決心し献身する思いを持って説教を聞いてください。「神は今日私に献身を求めておられるのではないか」と心を集中させ、説教を通して神の御声を聞いてほしいです。
⑴信仰生活の飛躍を経験できます。恥ずかしがり屋の人にとって、礼拝堂の前に出るのはとても勇気のいることです。しかし、その恥ずかしさを乗り越えて一度でも前に出るなら、信仰が大きく飛躍し、生活に大胆さが与えられます。
⑵決心したことを実行に移しやすくなります。誰にも知られずに決心したことはうやむやになりやすいものです。しかし前に出て公に決心すると、人々の前で約束したことと同じなので、その決心を実行に移す可能性が高まります。
⑶従順を学ぶことができます。わが教会では、洗礼を受けたい方や教会の家族になりたいと思う心を「神からの召し」と理解し、前に出て決心と献身を表していただくように勧めています。そして、それを従順のしるしとして理解しています。 信仰の決心はしたいけれど、前に出るのは嫌だと思うなら、信仰を訓練する機会を逃すことになります。
⑷みことばを解き明かす牧師の祈りを受けることができます。私たちが決心し献身しても、それが実を結ぶためには神の助けが必要です。みことばを伝える説教者(牧師)の祈りは、その決心と献身が実を結ぶよう助けてくれます。書き出した決心と献身の内容は、説教者が1週間、毎朝の早天祈祷の中で祈るでしょう。
ですから、わが教会の信徒であれば、年に二度以上は前に出て決心と献身を表してほしいです。信徒の中には何年もの間、決心や献身を表していない方もいます。形式的に礼拝をし、説教を聞き流してしまうのではなく、いつでも決心し献身する思いを持って説教を聞いてください。「神は今日私に献身を求めておられるのではないか」と心を集中させ、説教を通して神の御声を聞いてほしいです。
趙 南洙師